モヤモヤの日々

第32回 サイン(2)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

先週の金曜日、つまり2021年2月5日、新刊の刊行記念イベントが下北沢の本屋B&Bで開催された。緊急事態宣言下の無観客オンライン配信だったにもかかわらず、たくさんの人が集まってくれた。むろん、誰ひとりの顔も拝見できていないが、僕には確かに観客の熱気が伝わってきた。

それにしても、12月前半に出版した本の刊行記念イベントが2月になってしまうとは。しかし、安全を第一に考えれば、それは致し方ないことである。開催には当然慎重になるべきだ。その状況は今も続いている。なのに、帯に推薦コメントをいただいた映画監督の今泉力哉さん、版元のウェブマガジンに書評エッセイを寄せていただいた演劇モデルの長井短さんという、ご多忙なおふたりがゲストとして駆け付けてくれた。幻冬舎の編集者・竹村優子さんが当日の司会を務めてくれた。

今泉監督、長井さんの作品が僕は好きだった。ツイッターは以前から相互フォローだし、お会いできそうなチャンスがあったのにもかかわらず、ずっと実現できないままでいた。つまり僕は、おふたりと初対面だった。こう見えて(どう見えているのかは知らないが)、僕は初対面の人と会う際にはもの凄く緊張する。しかし、この日ばかりは会える楽しみがまさっていた。緊張はしていたのだけど、ずっと会いたいと思っていたおふたりに会って、語り合えるチャンスなのだ。すでに観たり、読んだりしたものも含めおふたりの作品をチェックし、限られたトーク時間の中で聞いてみたい質問を練って当日に備えた。

ところで、僕にはもうひとつ重要な仕事があった。サインである。オンライン配信のチケットを申し込む際に、新刊のサイン本を購入できるオプションが付いていたのだ。そんな奇特な人がいるものだろうかと半信半疑になりながらも、刊行記念イベントはそもそも新刊を売ることが目的のひとつであり、リアルの会場に観客を招き開催すればその場で買ってくれる人がいる。なかにはサインを求めてきてくれる人もいることを、前の単著や共著を出した際に知った。そして以前に書いたことだが、僕は新刊が発売された直後、わざわざサインをデザインしてくれるサービスに「宮崎智之」のサインを発注していたのだ。計14,300円。「納期短縮オプション」を使う気合の入れようだった。

ようやく、そのサインをお披露目する機会が訪れたのである。しかし、この連載にサインのエピソードを書いた1月初旬までは、添付されていた漢字練習帳のような用紙を使って練習していたものの、あまりにもサインを書く機会がないため、その後は完全に放置してしまっていた。だから再度、練習し直さなければいけない。練習し直さなければいけないのだけれど、いつもの愚鈍さがむくむくと立ち上がってきて、なかなか練習帳に向き合うことができない。考えてみれば、小学校の頃から漢字練習帳の類が僕は嫌いだったのだ。でも今、僕は小学生ではなく、38歳の大人である。そして、これは宿題などではなく、歴としたお仕事である。僕はイベントの告知が出た1月26日、久しぶりに練習帳を開いた。まったく書けなくなっている。そのことを確認しただけで、その日は満足した。

竹村さんや、イベントを担当してくれた博報堂ケトルの稗田竜子さんから、「ちゃんと練習していますか?」と何度か確認されていた。練習していなかった。ゲストおふたりの作品をチェックするだけではなく、ほかの仕事も並行的に進めていた。しかし、常に頭の片隅には引っかかり続けていた。ほとんどいないと思うが、ひとりでも僕のサイン本がほしいという奇特な人がいたならば、その期待に全力で応えたい。果たして僕はイベント前日の深夜、漢字練習帳に再び向き合った。やっぱり書けない(当たり前だ)。だけど何度か書いているうちに、それなりにサインの体をなしてきた気がした。「こういうのは一日置いたほうが記憶が定着する」と考え、体調管理のためにもそこで就寝した。

当日は、朝からイベントの進行や質問項目を詰めていた。気がついたら15時になっていた。だが、19時に家を出れば集合時間に間に合うので、まだ4時間ほど時間があった。僕は腱鞘炎になるのではないかと思うくらい、必死にサインを練習しまくった。練習しすぎてゲシュタルト崩壊を起こし、一度、記憶が白紙の状態に戻ったりしたが、僕は諦めなかった。いったい「納期短縮オプション」とはなんだったのかと思いはしたものの、ひとりでもサイン本を購入してくれた人がいるならば、今からでも最善を尽くしたい。直前まで練習した結果、集合時間に5分ほど遅れて会場に到着した。

イベントはそれはもう、(少なくとも僕にとっては)最高の時間だった。アクリル板を隔てて並ぶおふたりの話はとても面白く、また僕の質問にも真摯に答えてくれて、新しい発見がたくさんあった。あっという間の2時間。まだまだ話し足りなく、できればあと3時間は語っていたいくらいだった。

イベント終了後もマスクを付けてソーシャルディスタンスを守りながら、おふたりと話し込んだ。すると稗田さんが寄ってきて、「宮崎さん、まだお仕事が残っていますよ」と机の上にサインをする本を置いた。い、意外とたくさんある。うれしい。こんな愚かな僕にサインを求めてくれる人がいるなんてうれしくて涙が出そうなのだが、ここでその日一番の緊張が僕を襲ってきた。まさにパニック状態だった。

するとちょうどその時、竹村さんが「三人が並んだ写真を撮りましょう」と提案した。たぶん竹村さんは気づいていなかったと思うけど、ナイスなタイミングである。撮影されている間に落ち着くかもしれない。しかし後からその写真を確認すると、この世の終わりのような表情をして僕は写っていた。

本が積んである机に戻り、震える手でサインを書いた。意外と書ける。事前に稗田さんから「為書きなしのサイン」と聞いていて、はじめは何のことかわからなかったのに「了解しました!」と知ったかぶりをしていたが、前日の深夜に調べたところによると、ようは「○○さんへ」といったい宛名のことらしい。練習を直前まで怠っていた罪悪感もあり、稗田さんに「今日の日付を入れたほうがいいですかね?」と聞いてみた。稗田さんは、「そうですね。せっかくですし入れましょう!」と答えた。

その、最後の最後に発揮したサービス精神がまさか裏目に出るとは、本当に僕は愚鈍な人間である。後から確認すると、「2021年2月5日」と書くべき日付が「2021年5月2日」になっているサイン本がいくつかあることが発覚した。しかし、やはり僕はその時、パニックになっていたのだと思う。謎のポジティブさを発揮し、「2021年5月2日」になっているサインはむしろ「当たり」なのではないかと考えた。人間のままならなさ、人生の不確かさ、それでも続けていくいじらしさ。そういうものについて語ったのが、このイベントだったのではないかと。視聴してくれた人ならばそう考えるはずだと。

「そんなことはない」と気づいたのは、翌日の昼に目を覚ました後のことだった。サインに当たりも外れもない。ただのミスである。しかし、書き直させてほしいと頼むのも気が引ける。イベントで僕は、「この本は『人間の弱さ』について書いてあるが、それを表現する際に範囲を曖昧にするのは嫌だった。だから、偶然で、一過性の存在である『ぼく』という一人称ですべて引き受けようと思った。そのことで、『人間の弱さ』という普遍的なものに近づけると考えた」と、堂々と宣言していたのだ。

どう引き受けるべきだろうか。まさか、「未来へのサインです。やったね!」なんてことにはできないだろうし。もちろん交換を望む人がいればそうするが、ツイッターを見る限りはイベントを視聴してくれた人の反応は温かく、きっと言い出せない人が多いに違いない。何気なくカレンダーで「2021年5月2日」を確認してみた。ゴールデンウィーク中の日曜日である。そうだ! と僕はひらめいた。「当たり」を引いてしまった人用に、(もし需要があるのなら)ひとりでオンライン刊行記念イベントを無料で開けばいいのではないか。そうすれば、そのサインの日付は矛盾しなくなるのではないか。

素晴らしいアイディアを思い付いたのである。僕は愚かな人間なので、愚かなミスはこれまでたくさんおかしてきた。そのぶん昔から帳尻を合わすことが得意なのだ。だが、果たしてこれで帳尻を合わせたことになるだろうか。愚かを極めすぎて、もはや自分では判断ができない。なので、「当たり」を引いてしまった人で、もしそれを望む人がいるならば、ツイッターのDMやメールアドレスに連絡いただけると幸いだ。そして、最後に重要な視点を述べさせてもらうと、誰も僕のサインの日付なんか、まったく気にも留めていない可能性がある。大いにあり得る。僕は愚かなだけではなく、自意識過剰でもある。

 

宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid