モヤモヤの日々

第201回 観光地のマグネット(2)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

僕がずっとモヤモヤしていたものに、観光地のマグネットがある。観光地や景勝地の写真やイラスト、もしくはご当地キャラクターなどが印刷され、長方形とか、円形とかシンプルな形をしているあれである。こんなもの誰が買うんだろうと思い、さらには僕が買わなければ誰も買わないのではないかという憐憫の情と謎の使命感に駆られて、コツコツ集めていた。

といった内容のコラムを先日書いたら、意外にも大きな反響があった。「私も集めています」「僕もモヤモヤしていたんですよ」などの感想が寄せられた。読者の方の反応でハッとしたのは、マグネットくらい無意味で有用性がないもののほうがお土産としては向いているのではないか、という指摘である。たしかに以前、ジーンズの聖地である倉敷に行ったとき、僕は普通にお洒落なデニム生地のシャツを買ってきた。とても気に入って重宝していたのだけど、普段着として着るようになってしまうと、「お土産」という思い出の要素が薄れてくる。人気商品なので、それこそ通販や都心のデパートでもゲットできてしまいそうなのが味気ない。

その点、マグネットは違う。マグネットを通販で買うことはあり得ないし、そもそも売っているのかどうかもわからない。デニム生地のシャツのように、都会のデパートで売っているわけでもない。人にお土産を買うときはお洒落なものにするべきだ。しかし、「自分へのお土産」は、その土地に行った思い出がずっと残るもののほうがいい。マグネットは冷蔵庫に紙を貼るときに使う以外はなんの有用性もなく、それゆえにただただ愛おしい存在である。

さて、この連載は文章だけで世界をつくりだす、世界を描写することを目指しているので、反響があったマグネットの記事も、それに出てくる個性豊かなマグネットたちを画像で紹介しないまま終わっていた。つい昨日、この連載もついに200回目を迎え、それを記念して編集担当の吉川浩満さんと一緒に、晶文社の特設スタジオ(会議室)でYouTubeライブの配信を行った。せっかく映像で出演するのだからと、僕はマグネットを持参して臨んだ。

いつもギリギリに到着して打ち合わせもないままぶっつけ本番で配信するのが僕と吉川さんのスタイルなのだけど、昨日は珍しく30分前に会場に着いた。にもかかわらず、ふたりともマグネットの話しでケタケタと笑ってばかりいて、結局、またぶっつけ本番になった。

マグネットを実際に見せると、読者の方たちも大喜びしてくれた。とくに盛り上がったのが、吉川さんが一番気になっていたという、キューバのハバナで買ったアーネスト・ヘミングウェイのマグネットである。このマグネットはヘミングウェイの顔がどかんと大きく印刷されており磁力も強い。ヘミングウェイ博物館で買った公式ものだ。キューバを舞台に『老人と海』を書いたヘミングウェイは、現地でとても尊敬されていて、「パパ・ヘミングウェイ」と呼ばれていた。同じくキューバの英雄のチェ・ゲバラのマグネットも買ったのだが、これは公式品ではなく、誰かが勝手につくったものであるため、粘土でできたボディに瞬間接着剤で小さなマグネットが装着されているだけで、自重に耐えられず落ちて割れてしまった。

そんな説明をしたあと、僕が友達からお土産としてもらった「ルート66」のマグネットの話になった。この連載を読んでくれている読者の方ならわかると思うが、僕がそんなジャック・ケルアックみたいな場所に行ったことがあるわけないし、今後、行くこともないだろう。しかし、横にいる吉川さんの目には、微かに光が差していた。とても欲しそうな顔をしている。これは、この連載を始める前に吉川さんに献上した「高級な蜜柑」以来の反応である。僕はこの連載をなんとしても書籍化させたい。「吉川さんは『ルート66』はお好きですか?」と僕は訊いてみた。すると「もちろんです」と吉川さんは言った。

そうか。やっぱり「ルート66」だったのか。これはなんとしても再び献上せねばならないと思い、「それならこのマグネットあげます」と差し出すと、吉川さんは満面の笑みを浮かべていた。これで書籍化に、何歩か近づいたに違いない。そして僕らは途中で放送を見た人もわかるよう、後ろにあるホワイトボードにマグネットを貼ってトークした。ゲバラは落ちそうだったのでヘミングウェイで支えた。

そんなマグネットたちを、晶文社の特設スタジオ(会議室)に忘れてきてしまったのだから、僕は本当に愚鈍である。今頃、誰かが真面目な会議をしながら、あのダサいマグネットはなんなんだろうと思っているに違いない。捨てられる前に、吉川さんに救出されることを祈っている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第200回 行けたら行く

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

「行けたら行く」という言葉に、モヤモヤしない人はいないのではないか。これは、編集者から原稿依頼がきて「書けたら書く」と返事するようなもので、よほどの大物でなければ通用しない言い草である。ところが、「行けたら行く」は大物でもない人が気軽に使ってくる。

「行けたら行く」。そんなの当たり前ではないか。誰もが「行けたら行く」のである。だから来られそうか誘う側は訊くのだ。「行けたら」の確率が100%なら「行く」でいいし、私見では80%くらいでも「行く」でいいと思う。たとえ100%の人でも、当日トラブルに見舞われれば0%になるが、そういうことを訊きたいわけではないのだ。あくまで現時点の可能性を、誘う側としては知りたい。

しかし、フリーランスになってからは、この「行けたら行く」の気持ちが少しわかるようになってしまった。フリーランスにとって、1、2週間後の日程が一番立てにくい。今やっている仕事が長引いて終わらないかもしれないし、新しい仕事が入る可能性があるからだ。また、1か月後の予定を訊かれても、「それはわからない」としか答えられない。逆にそれ以上、つまり2、3か月後の予定となると、自分で仕事の調整ができる範囲が広がるので、さすがに日程を確保できるようになる。

ただし、「行けたら行く」を「このお誘いは優先度が低い」と判断して使っている人もいるから、厄介である。さらに意外と誘った側に迷惑をかけるのは、「行けたら行く」というからには意地でも顔を出そうとする人である。「行けたら」を「行ける」にするため一生懸命に努力してくれているのはうれしいのだが、その結果、激務でぼろぼろになりながら来られるのも心が痛むし、そういう人は会合の残り30分くらいに現れるケースが多い。そうすると会計が平等になるように計算する手間がかかる。さらに、来てくれたからには二次会などに参加し、来てくれた人をもてなす必要がある。

どこまでもモヤモヤする「行けたら行く」だが、フリーランスにとしてはどうしてもそのように言わざるを得ない場面が出てくる。迷惑をかけたくない場合は、明確に「行けない」と返事するようにしている。フリーランスにとって一番、日程が確保しやすいのは、実は、今日か明日など近々の予定である。今日と明日に仕事がないなら、さすがに追加で仕事がくることはない。だから、「今からどう?」とか、「明日の夜、空いてる?」とかのお誘いがどうしても増えてしまうことになる。書いていて気づいたのだけど、コロナ禍の今では、ちょっと懐かしいモヤモヤになってしまっている。

ちなみに、この連載も今日で200回に到達した。このあと21時から編集担当の吉川浩満さん と一緒に、無料のYouTubeライブを開催する。この企画が正式に決まったのは、まさにフリーランスにとって一番日程が空けにくい1週間前だった。だから、「行けたら行く」と言いたいところなのだけど、僕は大物でないので「絶対に行く」。いや、むしろ「行けなくても行く」所存である。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid