モヤモヤの日々

第25回 薄毛の広告

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

今年の3月で39歳になる。早生まれなので周囲の友達はとっくに39歳になっており、それを意識しておかないと自分の人生の進捗状況を見誤りそうになるので、ある時期から年が明けたら年齢が一つ上がることに勝手に決めた。僕にしては、冴えているライフハックを思いついたものである。

まだ若いといえば若いが、まあそれなりの年齢にはなった。だからなのか、インターネットを開くと、やたらと「薄毛の広告」が出るようになった。早めにケアしておくのに越したことはないが、38年間、虚弱体質として生きていた僕が、唯一他人に太鼓判を押されたことのある体の部位は何を隠そう「毛根」なのである。20代後半くらいの頃、美容室に行ったら頭皮のチェックが無料でできるというのでやってみた。担当者いわく、「こんなに健康的な毛根にはお目にかかったことがありません!」とのことだった。僕は誇らしかった。お目にかかったこともない毛根の持ち主、それが僕なのだ、と。

しかし、あれからだいぶ年月が経った。不摂生な生活を長くしていた。歳を重ねるごとに、髪の毛が細くなってきたような気がする。そんな思いが頭をめぐり、クリックしたのがいけなかったのだろうか、それ以来、それはもうインターネット上の至るところに、薄毛改善の広告が出るようになった。

いわゆる、広告のアルゴリズムというやつなのだろう。僕は薄毛の広告のターゲットにされてしまったのだ。あまりにも至るところに現れるため、SNSでその不満を投稿した。すると、その投稿の「薄毛」という文字が捕捉されてしまったようで、薄毛の広告はさらに僕を追っかけてくることになった。

「コンプレックス広告」という言葉があり、身体的なコンプレックスを過剰に煽る広告を規制しようとする動きもあるという。とても重要な問題だ。そもそもSNSで不満を漏らしているのに、それを「この人は潜在顧客だ」と判断するアルゴリズムは、広告主にとっても有益ではないのではないか。それとも、ダチョウ倶楽部の熱湯風呂のように、「押すなよ。絶対に押すなよ」を、「本当は押してほしい」と解釈しているのだろうか。「本当は薄毛を気にしているんでしょ」と判断しているのだろうか。

こうやって考えること自体がストレスになり、薄毛の原因になりそうである。こういうコラムを書いていると、また薄毛の広告が増えるような気もしている。このコラムを読んでいる、アルゴリズムだか、AIだかの方々におかれましては、しっかり細部まで読み込んでご活動いただけるよう心から願っています。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第24回 バンドマン

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

何故だかわからないが、僕はよくバンドマンに間違えられる。これまでの人生、それはもう何度も間違えられてきた。20代中盤から10年間、高円寺と下北沢というライブハウスが多い街で暮らしていたからだろうか。もしかしたら無意識に、その街に溶け込む風貌になっていったのかもしれない。

僕は考えごとをする際、一箇所に留まってじっとする癖がある。卒業した明治大学は3〜4年の校舎が御茶ノ水にあり、キャンパスの周りには楽器屋がたくさんあった。ある時、僕はふと楽器屋に入り、考えごとをしていた。真剣な顔つきをしながら、店内の一箇所を見つめ、思考を巡らせていた。すると店員が近づいてきて、「○▼※△☆▲※◎★●(聞き取れない英語や数字)ですよね?」と物知り顔で聞いてきた。だから僕も物知り顔で「そうです」と答えたのだが、「音だけでも出していきますか?」と言ってきたので、「すみません。今日はやめておきます」と焦って店を出た。

これは楽器屋にいたのだから仕方ない部分があるが、忘れもしないのは2018月12月14日、僕はAbemaTVにアルコールをやめて断酒した立場として出演した 。滅多にない映像メディアの仕事で緊張したが、なんとか出演が終わり、スタジオの入ったテレビ朝日のビルを出ると、白い手袋をした運転手さんと黒いクルマが停まっていた。タクシー? ハイヤー? よくわからないが、さすがはAbemaTVと思いながら乗り込み、運転手さんに自宅のある目黒区ではなく、杉並区の高円寺向かってほしいと伝えた。その日、友人たちとの忘年会が高円寺の居酒屋で開かれていたのだ。

駅前で降ろしてもらい、商店街を歩いて居酒屋に入った。年末だけあって混雑している。入り口付近で店内を眺めながら友人たちを探していると、店員が僕を見つけ、「お二階になります!」と案内してくれた。果たして二階は貸切になっており、端には楽器らしきものがまとめて置いてあった。バンドのメンバーと思しき人たちと、スタッフなのかファンなのか、とにかく凄く派手な人たち30人ほどが泥酔しながら管を巻いていた。そのうち5、6人はすでに酔いつぶれ机に突っ伏して寝ていた。

「あの、なんか違うみたいなんですけど……」。フロアに僕を通そうとする店員にそう言うと、焦ったように一階に戻り、レジ近くにある紙をなにやら確認して、「すみません。一階でした!」と叫んだ。一階の奥の席に通され、ようやく友人たちと合流できた。こちらは6人中2人が、すでに寝ていた。

ついこの前も住んでいるマンションのエレベーターで一緒になった年配の女性から、「あらヤダ、気づかなかったわ。今日は楽器を背負ってらっしゃらないから」と話し掛けられたばかりである。ここで一番の問題なのは、僕がこれまでの人生で一度も、ギターなどの楽器に触れた経験がないことだ。たぶん小学校の時のリコーダーが楽器に触れた最後ではないか。それなりに文化系の人生を歩んできたのに、ギターに触れたことがない。思春期になっても楽器に興味を示さない僕を心配して、「お前、ギターとか弾きたくないのか? 買ってやるぞ」と、父から言われたくらいだった。あとこれは余談だが、僕はよくDJを頼まれる。しかし、ターンテーブルの電源の入れ方すら知らない。

しかし、僕は音楽を聴くのは好きであり、コロナ禍になる前はよくライブにも行っていた。なので、バンドマンやアーチストを尊敬しているし、そもそも楽器が弾けるだけでその人のことを畏敬してしまう。だからこそモヤモヤするのだ。そろそろギターでも習おうかな、なんて最近では少しだけ考えている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid