モヤモヤの日々

第237回 短眠

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

最近、早起きする日々が続いている。早寝早起き、というわけではなく、どんな時間に寝てもたいていは4、5時間で目を覚ます。もともと僕はロングスリーパーで、8時間、ときによっては9時間くらい寝なければ体調が万全にならなかった。だから4、5時間では睡眠不足のはずなのだけど、なぜだかそれでもすっきり起きられる。とくに体調が優れないということもない。

歳を取ると睡眠時間が短くなると聞く。来年3月で40歳になるので、僕もそうなったのだろうか。いや、それにしても早すぎるのではないか。短眠の生活スタイルになるのは、老人になってからのようなイメージがある。僕はすでに老人なのだろうか。いずれにしても、今まで「寝つきが悪くて、ロングスリーパー」という最悪の体質で苦労していたため、「寝つきが悪くて、ショートスリーパー」になったならば、それはそれでよい気がする。そのぶん、いろいろなことができる。

しかし、生来の段取りの悪さは一向になおらず、起きている時間が長くなったからといって、仕事や生活のあれこれがそれ以前より快調に進むというわけでは必ずしもなかった。集中力がないからだ。正確に言うと、集中力はあるのだが、集中するまでに時間がかかる。助走が人より長いのである。その悪癖は変わらず、たとえばこの「モヤモヤの日々」はだいたい20分くらいで書き上げているものの、書き始めるまでに1時間、長い日は2、3時間くらいかかる。人生とはつくづくままならないものだと思う。

とはいえ、日中の活動時間が増えたことには違いない。増えた時間でなにをやりたいのかと自分に問いかけるならば、やっぱりそれは赤子(1歳6か月、息子)と愛犬ニコルとの時間を増やすことだった。赤子は今、急成長を遂げている。自己主張が強く、手がかかる。しかし、それも赤子にとっては成長の一部だ。つい最近まで、「あちゃ」とか「あぷあぷあぷ」とか言ってぼんやりしていただけだったのに、最近では走り回るし、隙を見て何かによじ登ろうとするし、親の言うことを聞かなくもなってきた。

今日も赤子が麦茶を飲むたび、妻と一緒に拍手喝采を送っている。仕事をしている途中でも、妻の拍手が聞こえてくると部屋から飛んでいき、拍手と称賛の言葉を投げかけ続けている。「すごい。偉い。天才だ。この赤子には天賦の才がある!!」と言いながら、リビングまでの道を駆け足で急ぐ。

そして、愛犬ニコルにもスキンシップを増やし、荒天で散歩ができないときには、部屋遊びを全力でやってあげている。実家の母から贈られた高級タオルは、ニコルがいくら噛んでも糸がほつれない優秀な高級タオルである。そのタオルで引っ張り合いっこをすると、犬は異常なほどよろこぶ。

そんななか、ちっとも進まないのが部屋の片付けである。少しは進んだのだが、あと20%のところでずっと停滞している。短眠になり時間があるからといって、仕事や生活のすべてがスムーズに進むというわけではないのだ。部屋の片付けにも1、2時間の助走が必要なので、インターネットでエゴサーチしたり、音楽をヘッドフォンで爆音にして聴いたり。それが終わると、ようやく1時間くらい部屋の片付けに集中できる。だからなかなか進まない。僕はなんて愚鈍な人間なのだろうか。

昨日の夜も2時間ほど助走をしていた。ひととおり音楽を聴き終わり、よしやるぞ! となったところで心が折れた。眠いのである。僕は一連のことを妻に相談した。すると妻は「今日はもう寝れば?」と言ってきた。そのとき21時。寝付きの悪い僕は、本当に眠れるのか自信がなかったが、ベッドに寝転がり、気付いたときには朝6時だった。9時間も寝ていた。もともと僕は9時間くらい寝る奴だったのだ。今日は快調にこの原稿を書いて、犬と赤子と遊び、これから部屋の片付けをする。僕はまだそこそこ若いし、睡眠はとても大切である。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第236回 褒めて伸ばす

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

「褒めて伸ばす」という教育法については、いろいろと細かい議論があるのだろうが、少なくとも僕は褒めて伸ばしてほしいと思うタイプだ。もうすぐ40歳の僕が言うとモヤモヤさせてしまうと思う。僕もモヤモヤする。しかし、僕は今の今まで褒められないで伸びためしがない気がしている。

あまりにも勉強をせず、特技もなかった僕を見て困った小学校の先生が、「眠れる獅子」と表現したことは以前にも書いた。さらに言えば、幼い頃、ファミコンをやっているだけでも親に褒められた。「あの智之がひとつのことに集中している」と。ただ単に、僕が駄目すぎただけだったのだろう。

赤子(1歳6か月)は妻に似て、僕よりは利発なタイプのように思える。しかし、誰に似たのか頑固で我がままで、すぐ拗ねる。それでも一度寝てしまえば、きれいさっぱり前にあった出来事や怒りを忘れてしまうのが救いだ。そんなところまで誰かにそっくりである。一方で、赤子が頑なに拒否し続けているのが、水や麦茶を飲むことだった。ミルクやジュースは飲むのだが、味がないもの、もしくは麦茶など甘くない飲み物は一切手をつけない。仕方ないから糖分オフのジュースを飲ませていた。

とはいえ、いつまでもそのままのわけにはいけない。赤ちゃん用の麦茶を買ってきては失敗し、僕がそれを飲んでいたものだから、すっかり麦茶のファンになってしまった。こんなに美味しいものを飲まないなんてもったいない。それにキャンプで出会った友赤子(2歳)は、麦茶を飲んでいたではないか。そう考え、妻と協力して麦茶に慣れてもらえるよう一緒に工夫しだした。

はじめは麦茶を飲ませるたびに一口で嫌な顔をして、ストローマグを床に叩きつける有様だった。だが、そこは赤子である。少し時間を置けば麦茶のことを忘れ、ストローマグを与えると一口だけ飲む。また床に叩きつける。それを続けているうちに麦茶の味に慣れるだろうと思いきや、同じ結果を繰り返すばかりでまったく成長がない。困ったものだと頭を悩ませていたのだが、僕はあることに気がついた。赤子が麦茶を一口飲んで床に叩きつけるまでに、わずか0.5秒くらいの間があるのだ。

これしかない! と思った。赤子にストローマグを与え、麦茶を飲んだその瞬間、僕は大袈裟に拍手喝采を送った。「すごい! すごいぞ赤子!!」。すると、赤子は少し嫌な顔をしながらも、ストローマグを叩きつけずにニヤリと笑った。僕はすぐさまその成果を妻に報告した。そして赤子が麦茶を口に含んだ瞬間、妻と僕のふたりで拍手と称賛を送り続けた。頭のいい愛犬ニコルも横に座って参加してくれた。結果、昨日は150ミリリットルの麦茶を、4分の3ほど飲んだ。20回くらい拍手喝采した。

今日も赤子は少しずつ麦茶を飲んでくれている。そのたびに拍手喝采している。妻と僕は、いつまで拍手喝采し続ければいけないのだろうか。ちなみに僕はもうすぐ40歳だし、フリーランスとしてひとりで働いているので、人に褒められる機会が滅多にない。だから最近では、「偉い! 偉い! 偉すぎる!!」とひとりで自分にシャウトしている。早く赤子が成長して、一緒に褒め合う仲になりたい。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid