膝の皿を金継ぎ
- 第4回 ところでペットって飼ってます? 2023-11-30
- 第3回 喋る猫はいなくても 2023-10-31
- 第2回 夢のPDCA 2023-09-29
- 第1回 ここではない、青い丸 2023-08-31
アワヨンベは大丈夫
- 第4回 セイン・もんた 2023-11-15
- 第3回 私を怒鳴るパパの目は黄色だった 2023-10-13
- 第2回 宇宙人とその娘 2023-09-11
- 第1回 オール・アイズ・オン・ミー 2023-08-11
旅をしても僕はそのまま
- 第4回 ハバナのアルセニオス 2023-11-15
- 第3回 スリランカの教会にて 2023-09-16
- 第2回 クレタ島のメネラオス 2023-06-23
- 第1回 バリ島のゲストハウス 2023-05-31
おだやかな激情
- 第6回 はらはら落ちる 2023-11-01
- 第5回 もしもぶつかれば 2023-10-02
- 第4回 つややかな舌 2023-09-02
- 第3回 鴨になりたい 2023-08-01
- 第2回 かがやくばかり 2023-07-04
- 第1回 いまこのからだで目に映るもの 2023-05-31
- 第4回 うまくいかなくても生きていく──『十二月の十日』ジョージ・ソーンダーズ 2023-09-25
- 第3回 元恋人の結婚式を回避するために海外逃亡──『レス』アンドリュー・ショーン・グリア 2023-04-21
- 第2回 とにかく尽くし暴走する、エクストリーム片思い──『愛がなんだ』角田光代 2023-01-17
B面の音盤クロニクル
- 第6回 とうとう会得した自由が通底している 2023-05-06
- 第5回 あれからジャズを聴いている理由──”Seven Steps to Heaven” Feat. Herbie Hancock 2023-04-04
- 第4回 「本質的な簡素さ」の歌声──Mavis Staples “We’ll Never Turn Back” 2023-03-01
- 第3回 我が家にレコードプレイヤーがやってきた──Leon Redbone “Double Time” 2023-01-08
- 第2回 手に届きそうな三日月が空に浮かんでいる──Ry Cooder “Paradise and Lunch” 2022-12-07
- 第1回 きっと私たちが会うことはもうないだろう Allen Toussaint “Life, Love, and Faith” 2022-11-04
- 第16回(最終回) 「本物の詐欺を見せてやるぜ」@ジョン・ライドン 2022-07-04
- 第15回 文明化と道徳化のロックンロール 2022-06-10
- 第14回 ミスマッチにより青年は荒野を目指す 2022-06-02
- 10 もうひとつの現実世界――ポスト・トゥルース時代の共同幻想(後編) 2021-07-06
- 9 もうひとつの現実世界──ポスト・トゥルース時代の共同幻想(前編) 2021-05-03
- 8 あるいはハーシュノイズでいっぱいの未来 2020-05-05
第146回 退屈さ
とくになにもない日々を過ごしている。昔の僕ならそう思っていたかもしれない。朝起きて、ご飯を食べて、仕事して、赤子と犬の世話をして。本当ならもっとやらなければいけないことはあるし、できれば運動も始めたい。最近、妻はYouTubeを観ながらダンスしている。
なにもない日々なんてあり得ないのだけど、僕はずっとそれに退屈してきた。退屈し過ぎて無理やりにでも刺激を探し求めていた。そのひとつがアルコールで、この連載でも触れたと思うが、僕は朝から晩までアルコールを飲み続けた結果、急性すい炎に2度なり、アルコール依存症とも診断されて、今は断酒をしている。もう5年以上、酒を一滴も飲んでいない。
今も退屈を感じるときがしばしばある。しかし、考えてみれば、酒を飲んでいた時期も同じく退屈だった。いや、酒を飲んでいたときのほうが、より退屈だったかもしれない。僕のような凡人の人生にはなすべきことは少ないかもしれないけれど、やるべきことはたくさんある。
そして、毎日のやるべきことをすべてやれず、一日が終わっていく。そのルーティーンは退屈ではあるが、そのなかでも僕でなければできないことはたくさんある。人生は偶発的で再現性がない出来事の積み重ねである。その積み重ねのうえに僕が立っているからこそ、僕でなければできないこと、見えないもの、書けないことがあるのだろうし、一過性の積み重ねを共有した周りの他者との関係も、僕がいるからこそ今の形になっている。仮に時間が巻き戻ったとして、同じ人生、同じ他者との関係にならない再現性のなさがこの世界の面白いところだ。
もちろん、僕に限らず誰もがそうである。誰もが、偶発的で一過性の交換不可能な人生を歩んでいる。今でも人生の退屈さに辟易するときがたびたびあるが、少なくとも今の僕はそういうふうに信じようとしているし、誰もがそういう尊厳を保てる社会になってほしいと思っている。
そのうえで、退屈な人生をどう楽しくするか。社会に背を向け、自分の中に閉じこもるのではなく、身近なものに目を向けることによって、むしろ世界が広がるような生き方をするには、どうすればいいのか。そんなことを考えながら、とくになにもない日々をじっくり過ごしている。