モヤモヤの日々

第135回 朝顔観察日記(5)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

朝顔が順調に生長している。前回(6月29日)立てた支柱に、蔓(つる)が絡み始めた。

相変わらず日照時間が短く、曇りがちの日々が続いている。低気圧のせいなのか、不安定な社会情勢によるストレスのせいなのか、常に偏頭痛がする。そんななかでも、朝顔はお構いなしに生長している。朝顔は育てやすい植物だと思う。小学生の教育に利用されているのも頷ける。

今日は摘芯(てきしん)を行った。摘芯とは、伸びた蔓をハサミで切り、脇芽を育てる栽培方法。脇芽を伸ばすと、咲く花も増える。これは大人になってから知った方法だと思っているのだが、もしかしたら小学生のときに習っていて、実際にやっていたのかもしれない。記憶が薄ぼんやりしている小学生時代のことを思い出すのは、もはや不可能な年齢になった。

たまたま摘芯をしようとしたタイミングで赤子(息子、1歳1か月)が昼寝してしまったため、今日の作業はひとりで行った。赤子に説明するために、一応、切った蔓を鉢の脇に置いて残しておいた。摘芯はもう一度する予定だから、今度こそ見せてあげたいと思っている。

なんとなく朝顔に可哀想な気がする摘芯だが、それは人間本位の感情であり、実際にはそんなことお構いなしに、脇芽はどんどん伸びていく。不確かな人間や社会と比べれば、植物はたくましく、確かさを感じさせてくれる。金子みすゞの詩「朝顔の蔓」(春陽堂書店『みすゞさんぽ ――金子みすゞ詩集』収録)には、朝顔の蔓がどこにすがろうか探しあぐねている様子が描かれている。西にするか、東にするか。蔓の逡巡が伝わってくるようで、個人的に大好きな作品だ。

そして、そんな迷いを振り切るように生長する朝顔の姿を、こんな一節で表現している。

それでも
お日さまこいしゅうて
きょうも一寸
また伸びる。

いじらしくもたくましいこの植物に、僕は毎日励まされている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第134回 あるひとつの日常

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

また東京都に「緊急事態宣言」が発令されるそうだ。「緊急」だらけで、もうなにがなんだかわからない。調べてみたら4度目だという。感染拡大防止の対策は急務であるとはいえ、政治や行政の対応には不満だらけだし、このままでは経済が、生活がもたない。僕は、人命を最優先に考える社会になってほしいと思っている。しかし、足元の生活が崩れてしまっては人命も危うい。当然ながら、五輪開催と感染拡大防止対策との整合性も見いだせない。

息子(1歳1か月)は、1度目の緊急事態宣言下で生まれた。東京都心部での深刻な感染拡大が明らかになり、外出自粛が叫ばれる直前の3月に、妻は当初の予定どおり里帰り出産のため大阪に帰省した。それ以来、臨月、出産、産後に至る2か月半、妻と息子に一度も会えなかった。東京の自宅で一緒に生活し始めることができたのは、7月に入ってからだった。

東京郊外に住む僕の母をはじめとした親族に、いまだ息子を十分に会わせてあげられていない。最初の混乱期(当時は本当に先行きが不透明だった)に出産したこともあり、「親族に会いに行くこと」「普段の外出のこと(会合出席など)」等について、親族間でさまざまな基準を設けた。そのほとんどが暗黙のものだが、基準がなければその都度、話し合わなければいけなくなり、刻々と変化する複雑な状況に対して精神的な負荷が重くなり過ぎるからだ。

僕がプライベートでの外出を極端に制限しているのもそのひとつ。体が弱く、喘息持ちのうえ(喘息が感染や重症化リスクを高めるかどうかには諸説ある)、30代は今のところ3回入院した。なのでこの連載は、普通では考えられないほど狭い行動範囲でしか生活していない人間の記録として書かれている。僕の母はまだ2回目のワクチン接種が終わっていない。僕は明々後日の7月11日(日)に、1回目のワクチン接種を予約している。親族内でワクチン接種が順調に進めば、昨年5月から運用していた「基準」が変わる。と思っていたら、また緊急事態宣言だ。

昨年5月の妻の出産時、僕はこの世界の複雑さに目眩を起こすことしかできなかった。自分の行動や決断が、周囲や社会に対してどのような影響を及ぼすのか。「あなたはこういう状況で、こういう事情も考慮された結果、こういう行動を取るべきである」と誰かに決めてほしかった。世界を単純化してほしかった。一年以上経った今、親族間の「基準」が(若干の変化は生じているものの)ほとんどそのままで運用されているのは、その延長線上にある葛藤の痕跡である。

だがそんななかでも、僕なりに成長した部分はあると思っている。息子と愛犬ニコルという、コントロール(説得)がほぼ不可能な相手と対峙しながら、それでも生活の彩や豊かな精神性を家族のなか、そして大切な友人たちとの間で維持しようと努力してきた。仕事をなんとか続け、自分の手の届く範囲にはなってしまっているものの、周囲や社会に対して出来る限りベターな選択を心掛けてきたつもりである。

つらいときは音をあげてもいい。決めたことでもやめてしまっていい。勝ち負けなんて、なおさらどうでもいい。弱くていい。それでも絶対に譲れない「あるひとつの日常」を、これからも綴っていく。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid