モヤモヤの日々

第111回 バンドマン(2)

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

新型コロナウイルスの感染拡大以降、ただでさえ不足していた運動がさらに不足し、一番重いときで4キロほど太ってしまった。なんとかして体重を元に戻さねばと思っていたのだが、代謝が落ちた39歳の身体は、以前のようにはすぐ減量できなくなっていた。しかし、4月の後半あたりから忙しい日々が続いていて、気がついたら体重が元に戻っていた。忙しくて、食事をしっかりとるのが疎かになっていたせいだ。ダイエットできたのはうれしいけど、不健康な痩せ方である。体重と一緒に体力も落ちてしまい、疲れが溜まりやすくなった。

昨日、外出の用事があってマンションのエレベーターに乗っていた。一緒になった初老の男性が「今日は赤ちゃんと一緒ではないんですね」と話しかけてきた。赤子を前に吊るして散歩に行く僕の姿が異様でよほど印象深かったのだろうか、そのときのことを言っているようだった。「今日は一緒じゃないんです」。僕はそう答え、「まだ1歳なんですけど、重たくって。抱えていると腰痛になってしまいそうです」と苦笑いした。初老の男性は、「いやいや、まだお若いんですから」と笑いながら励ましてくれた。とても感じのいい紳士だなあと思った。

たしかに39歳で年寄りぶるのはまだ早すぎる。「はい。(赤子のために)育児も仕事も、もっと頑張らなければですね」と僕は答えた。エレベーターのドアが開いた。僕は「ひらく」のボタンを押して、「お先にどうぞ」というジェスチャーをした。男性は二度ゆっくりと頷いた後、「ありがとうございます。頑張ってくださいね、音楽活動」と言って去っていった。

以前もこの連載で書いたが、僕が楽器に親しんだのは小学校の時のリコーダーが最後であり、これまでの人生で一度もギターなどの楽器に触れた経験がない。そしてマンションのエレベーターでバンドマンと間違えられたのは、これで2回目である(1回目は以前のコラムを参照いただきたい)。どうすれば誤解が晴れるのだろうか。とはいえ下手に訂正してしまうと、「ではお前はいったい何者なんだ」と余計に怪しまれそうなので、このままでもいいような気がする。

新型コロナが収束したら楽器を習おうかと、真剣に検討している。楽しい40代になりそうだ。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第110回 雨のことば

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

「私がいないと私を求め、私がいると私の前から逃げる」。急に何を言い出したのかと思うかもしれないが、これはポーランドのなぞなぞで、答えは「雨」。日本には「雨の降る日は天気が悪い」ということわざがあるそうだ。意味は「わかりきったこと」。身も蓋もない感じが、僕の好みである。

これらは講談社学術文庫の『雨のことば辞典』(編者:倉嶋厚、原田稔)で紹介されている内容だ。同書には、日本における四季折々の「雨のことば」が約1200語も収録されているほか、なぞなぞやことわざ、言い伝えなど、雨にまつわるコラムが掲載されている。枕元に置いて気が向いたときに読んでいるのだが、まだすべては目を通せていない。数が多いからというよりも、すべて読んでしまうのがもったいないからだ。今日のような雨の日にはうってつけの本である。

同書は五十音順に「雨のことば」を紹介している。この手の本は冒頭から順に読むよりは、適当にぱっと開いて目についたページを楽しむに限る。さ行には「桜ながし」という言葉が載っている。「桜ながし」と言えば、宇多田ヒカルが『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のために書き下ろした名曲を思い出させる。宇多田の曲のタイトルは「桜流し」という表記である。てっきり宇多田の類稀なる感性で生みだされた造語かと思っていたのだが、「桜ながし」は鹿児島県肝属地方の言葉で、「桜の花に降りかかり散らしてしまう雨」の意だという。「なぜかあわれ深いひびきがある」と解説されている。宇多田はこの言葉を知っていたのかもしれない。

「身を知る雨」なんて言葉もある。意味は「わが身の上を思い知らせるように降る雨」。涙に懸けて使われる場合が多く、『後拾遺和歌集』に、「忘らるゝ身を知る雨はふらねども袖ばかりこそ乾かざりけれ」という読み人しらずの和歌がある。「夕立」には、「夕立つ」という動詞の用法があることも知った。本の内容を紹介し出したらキリがなく、このまま日が暮れてしまいそうだ。

さて、それにしても今日の雨は酷すぎる。我が家はマンションの8階にあるため、風で窓がぶっ叩かれたような音がする。外で誰かが窓を叩いているのではないかと疑うほどだ。そんな雨を表現した言葉はないかとパラパラとページをめくっていたところ、「かんざさーめ」という言葉が目についた。秋田県地方の言葉で、「風をともなった吹き降りの雨」の意味だという。「かんざさーめ」という語感がなんともよく、何度も復誦したくなってくる。しかし、今日の天気はそれどころではない。まるで嵐である。

今、また家の窓が「ドン!」という大きい音とともにぶん殴られた。なんという不躾な雨だろう。原稿の締め切りギリギリまで同書を必死に調べたが、意味としては当てはまっても、僕の今の心境まで表してくれる言葉がなかなか見つからない。僕は今日、夕方に用事があって外出しなければいけないのだ。

「雨の降る日は天気が悪い」。結局はこの一言に尽きることに、僕はようやく思い至った。やはり昔の人のつくったことわざには含蓄がある。雨の降る日は天気が悪くて、本当に困ったものである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid