モヤモヤの日々

第77回 うぐいすの初鳴日

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

ウィキペディアに「おまかせ表示」機能があるのをご存知だろうか。寝つきが悪い夜は、ついつい布団のなかでスマートフォンを開きがちである。ツイッターなどのSNSを見てしまうと、興奮して眠れなくなる。そういうとき、僕はウィキペディアの「おまかせ表示」機能を使う。ボタンを押すと、自動で適当なページを表示してくれる。聞いたことも、見たこともないキノコの生態や、古代の戦争について詳細に教えてくれる。そして次第に眠くなる。

昨日、寝る前に「おまかせ表示」機能を使った。偶然、表示されたのは「うぐいす」の項目だった。東京都台東区鶯谷の地名の由来など、ページには興味深い記述がたくさんあったのだが、僕が一番驚いたのは、「『ホーホケキョ』とさえずるのを初めて聞いた日を『うぐいすの初鳴日』と呼び、気象庁が生物季節観測に用いていたが、2021年(令和3年)1月以降はアジサイなどの植物のみを対象とした6種目9現象を継続し、うぐいすはそれ以外の種目・現象と共に観測対象から廃止された」という情報だった。「うぐいすの初鳴日」とはいかに。

気になりすぎて、気象庁の大気海洋部観測整備計画課に電話してみた。フリーライターを名乗る怪しい男の質問に、担当者が丁寧に答えてくれた。「生物季節観測」とは、わかりやすい例で説明すると、「さくらの開花・満開」を毎年発表しているあれである。全国の気象台・測候所58地点で植物34種目、動物23種目を対象に開花や初鳴きを観測してきたものの、生態系の変化などの理由により今年からは、「あじさいの開花」「いちょうの黄葉・落葉」「うめの開花」「かえでの紅葉・落葉」「さくらの開花・満開」「すすきの開花」の6種目9現象に観測対象を絞ったという。こんな大切なニュースを知らなかったのは僕だけだろうか。

とくに、動物系の季節観測はひとつもなくなってしまった。「うぐいすの初鳴日」なんてものがあったことに感銘を受けたのも束の間、「しおからとんぼ初見」「とのさまがえる初見」「にいにいぜみ初鳴」といった趣深い観測が、軒並みなくなってしまったのだ。あったことすら知らなかったのに、なくなったのを嘆くのはお門違いだけど、そんな制度があったなら早く気がつき、毎年発表を楽しみにしておけばよかったと悔やむ思いがある。ちなみに、最後の観察である2020年、秋田の「うぐいすの初鳴日」は4月16日で、ちょうど今頃である。

移り変わる自然の美しさは、人間の心を豊かにする。しかし、目の前の雑事に追われているうちに、いつの間にか過ぎ去ってしまった季節も少なくない。時間に追われる日々が続くと、自然を愛しむ心が失われがちになる。だが、失われるのは心だけではなく制度もまた同じなのだ。日本人は、多くの人が知らない間に「うぐいすの初鳴日」を失ってしまったのだった。

当方、39歳のフリーライター(バツイチ、アルコール依存症で断酒中)。もし、気象庁さんがお金を出してくれるなら、うぐいすでも、しおからとんぼでも、とのさまがえるでも、にいにいぜみでも、全国津々浦々を駆けずり回って「初日」を観測したいと思うのだが、どうだろうか。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第76回 ナ、ノ、ハ、ナ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

檀一雄の『小説 太宰治』(岩波現代文庫)では、酒席で太宰治が中原中也に絡まれた場面が描かれている。酔いが廻った中也は太宰に、「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」と迫った。泣き出しそうな顔をしている太宰に対し、中也が「ええ? 何だいおめえの好きな花は」とさらに凄むと、「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と、とぎれとぎれに言った。中也の怒号が飛び、店内は大乱闘になったという。

中原中也、大学の卒業論文に選んだ詩人ながら、なんて滅茶苦茶なやつなんだ。あまりに理不尽すぎる。太宰がいったいなんと答えれば、中也は納得したのだろう。どうせ中也のことだからどんな花でも納得しなかったと思うが、僕は酒をやめたので他人の顔を空に浮かんだ青鯖に例えるような熱狂はせず、平熱のまま素面の日常を生きて、この連載に綴っている。

先日、家族4人(うち1匹)で散歩に出掛けた。僕は赤子を前に吊るし、妻は愛犬ニコルのリードを持った。日差しが柔らかい、うららかな日だった。近所を歩くだけでも、いろいろな発見がある。近所には、なぜか野良猫が少ない。昨年、古い家屋が取り壊された土地に、雑草がうっそうと繁っている。住宅街から大通りに出ると、妻はドラッグストアに寄りたいと言った。赤子といっても、もう体重が10キロ以上である。育児のためにひ弱な肉体を鍛えなければいけない。僕は妻からニコルを預かり、リードを持ちながらベンチに腰掛けた。

妻を待っている間、僕とニコルはへばっていたが、赤子はキョロキョロと辺りを観察している。近くの花壇に黄色い花が咲いていた。菜の花だ。なぜ菜の花だとわかるのかというと、東京の西の奥のさらに奥にある東京都・福生市で育った僕は、幼い頃、よく近所で菜の花が咲いているのを見ていたからである。好奇心に満ちた無垢な瞳を向ける赤子に僕は花の名前を教えてあげ、童謡の「赤とんぼ」を歌ってあげた。妻が日用品を買った袋をぶら下げて戻ってきた。僕は本当に愚かなので念のため妻にも訊いてみたが、やっぱり菜の花だった。

菜の花だったとは思うのだが、「菜の花畠(ばたけ)の赤とんぼ〜」などという歌はなく、「赤とんぼ」といえば「夕焼け、小焼けの」であり、「菜の花」は別の歌であったことに昨日、気がついた。赤子には、とりあえず雰囲気だけでも掴んでおいていただければ幸いである。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid