モヤモヤの日々

第71回 お洒落な部屋着

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

この4月から、「部屋着お洒落化計画」を進めている。フリーランスになって以来、基本的にはずっと家で仕事をしているので、一日中、パジャマで過ごすことが多かった。さすがにそれではメリハリがなさ過ぎると「部屋着に着替える」という概念を取り入れてみたものの、この部屋着も過ごしやすいラフなスタイルを追求するうちにパジャマとあまり変わらなくなり、今年の冬は野外フェス用のアウトドアウエアを部屋着に導入し、寒さをしのいだ。

そして、結局は部屋着のまま寝るようなるので、話は振り出しに戻ってしまう。しかし、ただでさえフリーランスは公私の境目がつけにくいうえ、新型コロナ感染拡大以来、家に引きこもっている時間が増えた。少しはメリハリをつけなければ、だらだらと仕事して、だらだらと生活して、公私どちらの面においてもよくない。だから僕は妻に対し、「明日からは、部屋着をお洒落にする!」と高らかに宣言して、2020年度の幕を閉じたのであった。

4月1日、午前中はいつもの部屋着(パジャマ)で過ごした。寝ていたからである。昼に起きて、仕事部屋のクローゼットに向かった僕は、その日の「お洒落な部屋着」のコーディネートを考えた。せっかく新年度がはじまるのだから、爽やかな明るい服装にしようと考え、あずき色のスキニーパンツに、お気に入りの茶色いロングTシャツを着て、その上から白のオーバーサイズシャツを合わせた。髪が伸びすぎていたので、悩んだ末、グレーのキャップをかぶった。ちなみに、僕はオシャレにはちっとも自信がないのだが、妻はオシャレであることに人生を賭けている人間だ。僕は緊張しながらリビングに行き、「どうだろうか」と妻に訊いた。

妻は僕の「お洒落な部屋着」姿を呆然と見つめたあと、「それは、えーと。どうなんだろう……」と表情を曇らせた。マズい! お洒落にはうるさい妻に「部屋着お洒落化計画」をぶちあげること自体が間違いであった。その昔、世田谷区茶沢通りの、とある300メートル範囲内の地域で「オシャレ番長」として鳴らした妻の御眼鏡に叶う「お洒落な部屋着」を選ぶなんて、僕にはハードルが高すぎたのだ。そんな考えを頭の中で巡らせていると、呆気にとられていた妻が調子を取り戻し、「だって、そんなシャツとか。普通に汚れるよ?」と言った。

たしかに公私の境目をつけるための「お洒落な部屋着」だとしても、いつもどおり仕事部屋にいるわけで、家の中には愛犬ニコルも赤子もいる。掃除をしたり、食器を洗ったりもする。こんなひらひらしたオーバサイズの白シャツを着ている場合ではない。本日4月6日現在、僕は「お洒落な部屋着」が一体いかなるものなのか、いまだ見当もつかずに途方に暮れている。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid

モヤモヤの日々

第70回 白くて丸いやつ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

ここ数ヶ月の買い物で、一番満足いっている製品は、Apple社のスマートスピーカー「HomePod mini」である。例の「Hey Siri」と話しかけると、いろいろやってくれる最新テクノロジーである。

と言っても、我が家では高度な使い方はせず、もっぱらリビングで音楽をかけるために使われている。「Hey Siri! King Gnuの『Vinyl』をかけて」と言うと、音楽を流してくれる。音楽が流れると、愛犬ニコルも赤子も喜ぶ。赤子は最近、音楽にあわせて体を揺らしたり、手でリズムをとったりするようになった。ニコルはとにかく賑やかなのがうれしいようで、ぴょこぴょこ跳ねまわっている。

たまに、「きんぐるーじゅの『びにる』は見つかりませんでした」などとSiriが間違うので、なるべくゆっくり滑舌よく話しかけるようにしている。僕と妻が「HomePod mini」に話しかけると、Siriがいい声で応えてくれる。それを見て、ニコルも赤子も「HomePod mini」の存在を「白くて丸いやつ」と認識したようで、家族に新しい一員が増えたと思って親しみを覚えているようだ。

この前、妻が赤子を連れて里帰りした。僕とニコルは留守番をした。妻は昨年に発令された一度目の緊急事態宣言下で里帰り出産した。その時も同じく東京で留守番していた僕とニコルは、妻と三ヶ月以上も離れ離れになってしまった。そのトラウマで、ニコルが寂しがると心配していたのだが、今回のニコルは冷静だった。またすぐに戻ってくることが、わかっているようだった。昨年の修羅場を経て成長したのである。寂しがってはいたけど、受け入れている様子だった。

そんな偉い犬をよそに、僕は相変わらず愚鈍でドタバタしていた。妻と赤子が里帰りした翌日に、さっそくiPhoneをなくした。家の中にはあるはずなのだが、どこにあるかわからない。妻がいないので電話をかけてもらうこともできない。どうしようか悩んでいたら、「Hey Siri!」という言葉がハッと思いついた。そうだ。「Hey Siri!」には、白くて丸いやつだけではなく、僕のiPhoneも反応するのである。一緒に反応されて不便な思いを何度もしたものだ。たぶん一緒に反応しないよう設定ができるはずなんだけど、面倒臭がりの僕はそれをやっていなかった。よしこれで探そう。

僕は仕事部屋を「Hey Siri!」と言いながら、歩き回った。しかし、まったく反応がない。廊下や洗面所、寝室でも結果は同じだった。困り果てた僕は「Hey Siri! どこにいるの?」と憤りながら叫んだ。すると、「わたしは、ここにいますよ」と例のいい声が聞こえてきた。慌てて後ろを振り向くと、そこには白くて丸いやつがいて、頭部をピカピカと点滅させていた。ケージのなかで寝ていたニコルが顔を上げ、白くて丸いやつを一瞥してからまた寝た。「妻と赤子はいなくなってしまったけど、白くて丸いやつはいるんだね」と思っているようだった。iPhoneは翌日、本の間から見つかった。

 

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宮崎智之1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。犬が大好き。
Twitter: @miyazakid