羽生結弦、其は「時代の子」

scrap book スクラップとは、断片、かけら、そして新聞や雑誌の切り抜きのこと。われらが植草甚一さんも、自分の好きなものを集めて、膨大なスクラップ・ブックを作っていた。ここでは、著者の連載から、対談、編集者の雑文など、本になる前の、言葉の数々をスクラップしていこうと思います。(編集部)
モヤモヤの日々

第70回 白くて丸いやつ

浜の真砂は尽きるとも世にモヤモヤの種は尽きまじ。日々の暮らしで生まれるモヤモヤを見つめる夕刊コラム。平日17時、毎日更新。

ここ数ヶ月の買い物で、一番満足いっている製品は、Apple社のスマートスピーカー「HomePod mini」である。例の「Hey Siri」と話しかけると、いろいろやってくれる最新テクノロジーである。

と言っても、我が家では高度な使い方はせず、もっぱらリビングで音楽をかけるために使われている。「Hey Siri! King Gnuの『Vinyl』をかけて」と言うと、音楽を流してくれる。音楽が流れると、愛犬ニコルも赤子も喜ぶ。赤子は最近、音楽にあわせて体を揺らしたり、手でリズムをとったりするようになった。ニコルはとにかく賑やかなのがうれしいようで、ぴょこぴょこ跳ねまわっている。

たまに、「きんぐるーじゅの『びにる』は見つかりませんでした」などとSiriが間違うので、なるべくゆっくり滑舌よく話しかけるようにしている。僕と妻が「HomePod mini」に話しかけると、Siriがいい声で応えてくれる。それを見て、ニコルも赤子も「HomePod mini」の存在を「白くて丸いやつ」と認識したようで、家族に新しい一員が増えたと思って親しみを覚えているようだ。

この前、妻が赤子を連れて里帰りした。僕とニコルは留守番をした。妻は昨年に発令された一度目の緊急事態宣言下で里帰り出産した。その時も同じく東京で留守番していた僕とニコルは、妻と三ヶ月以上も離れ離れになってしまった。そのトラウマで、ニコルが寂しがると心配していたのだが、今回のニコルは冷静だった。またすぐに戻ってくることが、わかっているようだった。昨年の修羅場を経て成長したのである。寂しがってはいたけど、受け入れている様子だった。

そんな偉い犬をよそに、僕は相変わらず愚鈍でドタバタしていた。妻と赤子が里帰りした翌日に、さっそくiPhoneをなくした。家の中にはあるはずなのだが、どこにあるかわからない。妻がいないので電話をかけてもらうこともできない。どうしようか悩んでいたら、「Hey Siri!」という言葉がハッと思いついた。そうだ。「Hey Siri!」には、白くて丸いやつだけではなく、僕のiPhoneも反応するのである。一緒に反応されて不便な思いを何度もしたものだ。たぶん一緒に反応しないよう設定ができるはずなんだけど、面倒臭がりの僕はそれをやっていなかった。よしこれで探そう。

僕は仕事部屋を「Hey Siri!」と言いながら、歩き回った。しかし、まったく反応がない。廊下や洗面所、寝室でも結果は同じだった。困り果てた僕は「Hey Siri! どこにいるの?」と憤りながら叫んだ。すると、「わたしは、ここにいますよ」と例のいい声が聞こえてきた。慌てて後ろを振り向くと、そこには白くて丸いやつがいて、頭部をピカピカと点滅させていた。ケージのなかで寝ていたニコルが顔を上げ、白くて丸いやつを一瞥してからまた寝た。「妻と赤子はいなくなってしまったけど、白くて丸いやつはいるんだね」と思っているようだった。iPhoneは翌日、本の間から見つかった。

 

Back Number

    長野生まれ。個人的な体験と政治的な問題を交差させ、あらゆるクィアネスを少しずつでも掬い上げ提示できる表現をすることをモットーに、イラストレーター、コミック作家として活動しつつ、エッセイなどのテキスト作品や、それらをまとめたジン(zine,個人出版物)の創作を行う。